□ Ultima Online PaYa's Histry
 
Prologue

私がUltima Online(以下UO)を購入したのは1997年12月上旬。何気なく友達に進められ購入した時は、まさか5年近く同じGameをPlayするとは夢にも思わなかった 。それまでのGameの常識を覆すような斬新且つ画期的なシステムに言葉で表現出来ない程の衝撃を受け、私は抜け出すことのない深みへとノメり込んでいった・・・・

Ultima Online・・・・それはまさに仮想世界。
私の中でUOを超えるGameはおそらく二度と出ないだろう・・・・

1997.12 SONOMA

正直、この頃の内容はかなりうろ覚えだ・・・

初期キャラクター名はT.HAYASHIで、SONOMAのVESPERから始めた事は覚えている。ADSLが無い時代(ISDN全盛期)で64kでの海外接続となるとPingは余裕で300を越えていた(汗)、LAGが凄まじくまともにPlay出来ないのに加え、自由度が高すぎて初期の頃は何をしていいのか分から ないという事もあり、UOの第一印象は最悪だった。それでも懲りずにPlayし続ける内に徐々にハマって行く事になる・・・
当時は、フィールドに出てもモンスターや動物がまったくいない状態で、狩りをするならコブトスダンジョンへ行くしかなかったが、入り口付近でPK(※Player Killerの略)がたむろっているのでダンジョンへ入る前に殺されるか、入れても帰り際に殺されるかで、生存して町に戻れたのは数える程度だった(苦笑)、当時のシステムはPKしてもLoss等のペナルティは無く、多くのPKが町付近やダンジョンを巡回。 このシステムのおかげで殺伐とした雰囲気を生み出し、MMOでしか表現出来ない緊張と興奮をもたらしてくるシビアな世界観が演出出来たのだろう。

UO初期で問題となっていたのはチートツールの流出。有名なチートツールといえばUoE、UoP辺なんだけど一番厄介なのは表に出てこない凶悪なツール。EBが5、6個列になって飛んできたり、弓1発で殺されたり、HALがKatana並みの速度で振ってきたり・・・台湾系のPUPUやPK GuildのSAS、FoH辺りは間違いなく絶対チートツール使ってた。

UO初めてすぐPvPに目覚めるという人は少ないと思う。私も初期の頃は、狩り・生産活動で楽しんでいた。BANK前で出会った外人と一緒にパーティ組んで狩りに行ったり、お喋りしながらSkill上げしたり、コミニケーションを楽しむのもUOの魅力の一つ。戦闘だけが全てでは無いって こと。Diablo等に代表される戦闘主体MMOは、熱くなれる反面、飽きが来るのが早い。対人・生産・ITEM収集・狩り・悪事等幅広い活動が可能で 且つ私物欲が満たされるGameは現時点でもUO以外には無いんじゃないかな。UOは私の期待した条件全てを満たしていたからこそ5年も続けることが出来たんだと思う。

UO初めて2ヶ月ぐらい経った頃、狩り仲間だったkazu-sa氏の進めでBritania Japan(略称BJ)というGuildに加入 した。比較的規模のデカイ日本人GuildでMember50人ぐらいおり、SONOMAサーバーの日本人Guildでは2番目の規模だ。
私の記憶に残ってる当時のSONOMA日本人Guildは以下の通り

S.C:Ryoko氏率いるMember100人を超える日本人最大規模Guild、mondoさんにはVesperでだいぶお世話になりました:D
PH:Onaka氏が率いるPvP Guild。O/C戦(Order vs Chaos)で台湾軍PuPu系と交戦。
AKD:Kaede氏率いるGuild。BJ Memberと仲良かった。
PKK:Aimi氏率いるPKK? Guild。知名度が上がったのはASUKAからかな・・・
ZP:Aoyama氏率いるPK集団。ASUKA初期にPlayしてた人ならピンと来るGuild名でしょうね。
SSB:TOMCAT氏率いるPK集団。知り合いのWozniac氏(Amiba@AoT-ASK)が所属。
RBG:Ura Mondo氏率いるPK集団。SONOMA日本人PKで最も知名度があった人物がUraMondo氏ですね。
Ero:GM誰だか忘れた・・・Pit氏だっけかな?上記3Guildと合わせてMafia in SONOMAというPK連合を形成。
SAS:SONOMA最大PK Guild。というかUOE集団?(苦笑)
FoH:こちらも大手PK Guild。Mario氏とは結構交戦したなぁ、、、BJ Tower荒らされた苦い思い出有り・・・
CW:Moonglowで盛んに活動していたシーフGuild。Amber氏が一際目立ってたね。こちらとも頻繁に交戦した。


正直な話SONOMA時代の活動は生産・狩り活動中心で、狩る立場というよりむしろ狩られる立場だった。回線速度・PvP技術・キャラスペック等全てにおいて低かったので、とにかくよく死んでたなぁ。ダンジョンに1時間滞在すれば必ず1度はPKと遭遇してたんだけど、ALL即逃げモード。戦って勝てるとは思わなかったんだよね。でもある日たまたまPKを返り討ちにした事がキッカケとなりPKK(※Player Killer Killerの略)活動を始めるようになった。PKした事ある人なら分かると思うけど、下手に反撃されるより逃げモードの相手の方が殺しやすいのだ。

SONOMA活動後半はGuild BJのMemberとして、現在のTで活動している人達のようなほのぼの?としたUOライフを満喫した。
そしてASUKA・YAMATOという日本シャード誕生によりSONOMA完全撤退へ。Guild BJを離れる事になる。

[補足]
※PK=Player Killerの略。プレイヤー殺害を目的としたプレイスタイル。Game内で人殺しを繰り返すと犯罪者扱いとなりキャラネームが赤色で表示される。
※PKK=Player Killer Killerの略。PK狩りを目的としたプレイスタイル。Game内の警察みたいなものだが、結局はPlayer Killを楽しんでいるので偽善者扱いされる事も多い。

1998.10 ASUKA

日本シャードはASUKAがYAMATOより1日早くオープン。その為ASUKAシャードの方が初期人口は高かった。

私は、ASUKAシャードオープンと同時にGuild OZを結成。初期Memberは、PaYa、TIM、Tsuyoshi、Yone-g、Ramuda(Siguma)、Gail(Zero)の6名。とりあえずGuildの拠点を建築するべく金稼ぎの日々が始まる。

ASUKA初期で目立ったGuild(Clan)は以下の通り(うろ覚えなので抜けてるGuild多いかも。。

AWC:言わずと知れたPKK連合。(正式名称Anti Wicked Clan)名前の由来は、当時Napaで猛威を振るっていたPK Guild Wicked Clan(WC)に対抗すべき結成したPKK連合で中心人物はAzrael氏。PKに襲われた市民がAWCのIRCチャンネルにてPK通報し、PKKが駆けつけるというシステムによりUO内の警察的な役割を果たした。画期的なシステムだが、AWC参加は誰でも出来るので質の低下という問題が常に付きまとう事になる。特にTMS全盛期では、実力があれば1vs5でも勝ててしまうシステムだった為にAWC=烏合の衆・雑魚集団というレッテルを貼られてしま った。AWCで有名なプレイヤーといえば真っ先に思い浮かぶのがMasa.F氏。実力は「・・・・」だが通報から現場到着までの速度は神業であり、Masa.F登場=PKK大群襲来警告という図式が成り立った。他にはHoney Bee氏、Lestat氏、DeGrAt氏辺りが記憶に残っている。

ZP:Aoyama氏率いるPK GuildでMafia in Sonoma(Sonoma PK連合)に加盟していたが、ASUKAではPKよりWar Guildとして知名度が高い。一時期ASUKAを代表する最強War Guild。Warで猛威を振るった。Naoki Zero氏、Touya氏在籍。
P's:P's Akuma氏率いるPK Guild。Member全員名前にP'sというGuild Nameが付いている。
PK:Souryu氏率いるPK Guild。ASUKAを代表するPK Guildに成長し、盛んに活動した。LAYSTER氏、Guts of SAS氏在籍。
TEL:悪人系Guildとして猛威を振う。実力のあるMemberが多くASUKA最強Guildという呼び声も高かった。WoW U氏、xX GOD Xx氏、Soul氏、Sar Doudaro氏在籍。
GoE:Napa出身の巨大PKK Guild。ASUKA初期に活動し、早々と解散する事になる。
!?:ASUKA初期に活動したPK Guild。ダウン戦で何度かMemberと交戦した記憶有。ACTLINK氏在籍。
AoT:nilmet氏率いる悪人系Guild。当時ASUKAでの知名度は相当高かった。弱いもの苛めというかPAF苛めが得意?Amiba氏、Wyburn氏在籍。
PAF:Sofia氏率いるASUKA最大登録数Guild。初心者の比率が高かった為、悪人系Guildの格好の的となった。
UnV:ASUKA最大Order Guild。O/C戦で中心的な役割を果たす。BBS戦も多かった。 後にIZUMOサーバーへ乗り込みGuild Warに参加するも、コテンパンにやられ消滅の道を辿ることになる。
PKK:もはや伝説として全日本シャードにその名が轟くAimi氏率いるPKK Guild。後にWar GuildとなりさらにPK Guildへ。UO内での戦闘はイマイチだがBBS戦はある意味最強という声が高い。
PoT:ぱんつ of 父さん。謎なネーミングがCoolなお笑い系Guild?一応悪人系Guildだったらしいが、活動内容は不明である。
NHK:忍者ハットリ君というふざけたGuild名のPK Guild。実は一時期OZに在籍していたMaria氏とその知り合いで構成されていた。
AS:ファントムナイツ(PK)の活動縮小後、活発となったPK Guild。個人的にASが活動していた時期は、他のサーバーで活動していた為、接した機会は殆ど無い。

ASUKAスタートダッシュで次々と家が建築されて行く中、我々OZも、細々ながら資金作りに没頭。Guild Web Pageも立ち上げ、SONOMA時代に研究した裁縫での稼ぎでSHを購入!!当時最も儲かる生産職がTailoringなのだが、競争率もかなり高い。皮入荷5分前ぐらいから店にはプレイヤーがひしめき合い"Vendor Buy"を連発し始める。ここで欲張って一気に買おうとすると、他の者に買われしまう。そこで、我々は10枚ぐらいずつチビチビ購入する戦法を取った。これが思いもよらぬ程効果を発揮!!順調に資金作りを行っていった。

OZにも続々とMemberが加入し、気付くとActive15名を超えていた。この頃がUO Guildとして最も盛んだったかなぁ。。毎週1回OZ集会を開き、Member全員でダンジョン捜索やDUEL大会、LV4・5トレジャーハント etc..Bri森PK捜索ツアーなんかもやったね。

Guild OZの名をUO業界に轟かせた出来事がいくつかある。
1つ目は、当時最も金稼ぎに適していた職業「Tailoring」のシステム解析をWeb Siteにて公開した事。皮商売によりOZタワー建築資金を貯める事ができた。2つ目は、GMイベント「赤いナイトメア」をASUKAシャードで3匹すべてGETした事。そして3つ目にPvP総合サイトとしてPvPノウハウを公開した事が挙げられる。
特に、赤いナイトメアは今や伝説として語り継がれており、各シャードに1頭ずつと言った間違った解釈がなされている場合もあるので、この場で真実を述べておこう。
赤いナイトメアは当時存在した日本サーバーASUKA・YAMATO・WAKOKUにて各3匹ずつ登場した。それぞれ、容姿が異なり、モヒカン・ロン毛・そして真紅の3パターン。出現した場所はASUKAの場合、1匹目Iceダンジョン、2匹目Ravaダンジョン、3匹目蜘蛛城地下。1匹目をテイムしたのは実はDeGrAt氏@LoHだったのだが、サーバーダウンによる巻き戻りで仕切り直しとなり、Akira氏@OZが見事にテイム成功となった。そして、予測した通りT2Aの主要ポイントであるRavaダンジョンと蜘蛛城地下にSpawnした赤メアをもAkira氏@OZがテイム成功。前人未到の赤いナイトメアコンプリートを達成したのだった。その後、EQ発売 でAkira氏UO引退し、Acc自然消滅と共に真紅ナイトメア消滅。モヒカン赤メアは、サーバーダウンによる巻きもどりで野生化。見つけた方が再テイムしてくれたが、私はTamingのSkillを所有していなかった為、譲り受ける事が出来ず、再 テイムした方に譲る事となった。(その後、売却された模様)そしてロン毛赤メアをしばらく所有していたが、Acc売却と共に他人の手へ渡る事となる。
赤いナイトメアはその価値故、町の中でのみお披露目という方法でしかその存在をさらす事は無かった。しかしTMS全盛の時代、自信過剰気味となっていた私は3回程、赤メアに乗ってPK討伐に参戦した事がある。当時交戦したPKerより「赤メアlol あんたアホだ!でもCOOL!」との言葉を頂いたのだが、確かに今思えば死んだら赤メアKILLの危険が伴う無謀な活動だったのかもしれない。私を無謀な行動に駆り立てたモノ、、、それはUO内での名声を得ようとする欲そのものだったのだろう。

1999.3 ASUKA WAR参戦

狩り・生産活動もだいぶマンネリ化してきた頃、私は突然O/C(Order vs Chaos)参戦を表明。Guild名はWoZ(War-OZ)で初期参加Memberは、OZからPaYa、HIRO、Shigeo、Ramuda、Asshu、DAI-AMON、Xenon、Yass、Guild MRFからZuder、Znack、Guild BJからGriffith、Tamajiro、ACからAsguard、Junaで、Active12前後。当時のWar Guildとしては比較的小規模だった。

Memberの大半が集団戦初心者、こんな状況で動きなれたWar Guildに敵うはずもなく連戦連敗・・・・当時ASUKA最強だったLoH@Chaosとも交戦したが実力差がありすぎて話にならなかった。丁度その時期、同じくLoHと交戦していたGuild DOGとの合併話が持ち上がりそれを承諾。Guild名をNOAとしWARへ参戦するも技術・兵力共に下回る我々は苦しい立場だった。 敗戦が続いた事による士気低下に加えMMORPG初の3D Gameとなった大作EQが発売し、EQへ流れるMember続出。Activeを維持出来なくなり一時NOA休業へ、、、

当時のASUKA WAR参加Guildは以下の通り。(抜けているGuildあるかも・・・)
※NOAが参戦した当時は、第一次ASUKA O/C戦終焉後であり、UnV、ZPらが解散(War撤退)した後です。

LoH:歴代3本の指に入る司令官Adis Tia氏率いるASUKA最強Guild。圏内War戦術におけるLoHの動きは抜き出ていた。
NOA:WoZとDOGが合併し誕生。途中/J\やS.P(後のSA)らが加入し大規模化したがActive差が激しかった。
LSS:中堅Guildとして、長い間ASUKA WARに参加。
BDF:ASUKA PK連合のMemberが結成したWar Guild。後にSOと合併しD&Sへ。
Arm:比較的古株なGuild。解散後LAZ、ArXを結成。
LAZ:Arm Memberを中心に結成されたGuild
ArX:Arm Memberを中心に結成された傭兵Guild
SO:NOA vs BDF vs SOでActive10前後の小規模三つ巴WARを展開した。
PKK:伝説として語り継がれているAIMI氏率いるGuild。PKKからWarへそしてPKへと活動内容を変えていく。
PWA:NOAに加わっていたがNOA解散後、独立して活動開始する。
B.M:Nausika氏やEmirio氏らが結成したGuild。
KiL:緑のタヌキといわれた緑色の集団。後にKiR、LiKへ名前を変えていく。
UtL:小規模だった為、あまり戦場では戦えなかった。

・NOA vs LoH
・NOA vs BDF vs SO
・NOA vs D&S(BDF+SO)
・NOA vs LSS
・NOA(CoF+PWA) vs PKK+B.M vs KiL+Ps2
・NOA(/J\+S.P+CoF+PWA) vs PKK+B.M vs KiL+Ps2 vs LoH vs LSS vs UtL
・NOA(/J\+CoF+PWA) vs SA vs KiR+Ps2+UtL vs LoH vs LSS

※LAZ、ArXは傭兵部隊であり週ペースで所属Guild変わっていたので把握してません(汗)

当時は、Deci WAR等無く、圏内戦が主体だった。圏内では攻撃魔法が通用しなかったので、フルプレガチンコ戦士を前衛にMageがGHやWoSを行うといったスタイル。WoSによる視界遮断と裏Gate戦術等が明暗を大きく左右し、司令官の判断が戦況に多大な影響を与えた。

NOAに所属したMemberは、意外な人物も多い。例えばAWCの有名人Honey Bee氏、DIABLOで日本人最強PKerと言われたJam氏@/J\、数回ではあるが、BCG氏@ScVも参加している。

NOAを解散させた理由としては、やはり連敗による士気の低下が大きいのだが、個人的にDuel Pitにハマったのがデカかった。NOA解散後DOGとしてWARを行ったが、WARサボってPitでDUEL三昧・・・でもってPitのメンツ集めて結成されたGuild Dの時もやはりWARさぼってDUEL漬け(苦笑)それ程当時のDUELは熱かったのだ!

Pit常連のMemberを集めたエリート集団 Guild D、、個人Skillだけを見れば圧倒的なのだが、WARでは思った程威力を出せなかった。その理由の一つとして各個人が身勝手に動いてしまうから(苦笑)集団戦で求められるのは連携であり、スタンドプレーではない。分かっていても、自己主張の強さから 敵を単独でねじ伏せようと動いてしまう。1on1もしくは1on2(俺の場合1on3でも勝てる自信があった・・・笑)でも勝てるという自信が裏目に出てしまった訳だ。

主なD Member:Nori、Vlad、ONOYUU、PaYa、HIROYUKI、Halo、Paruru、Yuji、xX MILLENCORIN Xx、Relvinian、Nachomen、Sakaki、Canal、Alexander、Kyougokudou、Joker、kiriko、Jotaro.Kujo、Death Cythe etc...名前出てない人ごめんなさい(汗)

当時は圏内全盛期。YMT最強Guild ScVのGM LAPIS氏が提案したDeci Warは、ASUKAでは行われていなかった。そこでASUKAでDeci WARを企画したのがGuild D。しかし思うようにDeciへ足を運んでもらえず、しばらくは放置状態だった。その後、Pit常連だったHayahidee氏やSV氏らがGuild Xを結成しDeci WARへ殴りこみ!!徐々にDeci WARが活性化していったが、結局最大手のGuild LoHが圏内構成の為、圏内戦メインは変わらなかった。

その後Guild DはASUKA WAR撤退。一部MemberはIzumo Warへ参戦していく事になる。

1999.10 ASUKA DUEL

1999年秋〜2000年1月(Pre-Cast修正直前の時期)が最もDUELにハマッた時期だった。この時代はTMS時代と言われ、Duelistの大半がTMS(Tank Mage Swrodsman)と呼ばれるキャラタイプ。同じキャラタイプなので相性問題等なく、純粋に実力が影響する。何故この時代のDUELが熱かったのか?それは、Pre-Cast、Zero-Delayと呼ばれるシステム上のバグによる影響が強かったからだ。 また、UoAがメジャーツールとなったのもこの頃(まだ非公式だった)で、当時のパッチでは魔法詠唱するのに武器を手動で外す(ペーパードールから手動で武器着脱を行う)必要があった。特に主力武器であるkatanaやKryssの着脱は難易度が高く、的確且つ迅速な武器着脱はP-SKILLに依存していたのだが、UoAによるワンキー着脱のおかげで着脱テクニックは無意味となってしまった。

□ Pre-Cast
魔法Cast中に武器を持ってもCastが潰れない。これは現パッチでは仕様となっているが当時は一応バグだった。後に武器装備でCastしている魔法が潰れるように修正される事になる。このバグのおかげで、Exp Cast>武器装備>武器Hit>Exp開放という一連のコンボが可能となった。

□ Zero-Delay(略称ZD)
当時は動いているとDelayが溜まらない仕様だった。その為、逃げる相手に武器を当て続けるのは不可能。武器を振るには立ち止まってDelayを溜める必要があったのだ。でもDelayが溜まると武器を着脱してもすぐ振れる状態になるバグが存在した。HALを装備し数秒間立ち止まってDelay溜めるよりWrestling(素手)でDelayを溜めてからHAL装備して武器を振った方が圧倒的に早い。これがWrestling-Delayと呼ばれる技術で、このテクニックを極めるとZD-HAL>Harm>ZD-HAL>Harmのような連続攻撃が出来た。

Pre-CastとZDを組み合わせる事によって基本コンボと呼ばれていたのがExp>EB Cast>ZD>EB開放コンボ。ただし、このワンコンボだけではHP100を削る事は出来ない。 相手に耐えられてしまうとMana40消費という痛手を負う事になるので、コンボを打ち込むタイミングが重要だった。他にも色々PvPテクニックと呼ばれる技が開発されたのでご紹介しよう。

□ 3行詠唱
UoAが公認ツールとして認められていない時代。殆どのPvPerが使ってた技。UOマクロで以下のように組む。(力の言葉は何でもOK)

Corp Por(Sayマクロ)
An Ex Por(Castマクロ)
In Vas Mani(Sayマクロ)

当時はSayの色が今のような蛍光っぽい色では無かったので3行同時に力の言葉が表示するとどれを唱えているのか分からなかった。相手に何を詠唱したのかカモフラージュする為の技。UoAが公認ツールになった後は無意味となった。

□ PoA Beam
この技は今では当たり前に利用されているが当時は物凄い発見だった。EB>EBが繋がり易くなったことによってさらに熱いDUELが可能となったのだ。魔法詠唱後には連続で詠唱出来ないようにDelay Timeが儲けられている。このDelay Timeが発動するのが魔法詠唱後であり撃った後ではない。つまり、詠唱後すぐに撃たずにしばらく待った後撃てば即詠唱が可能になるのだ。この技が発見される前から強豪Duelist達は無意識で使っていたのだが、システム理解する事によりコンビネーションの一部として組み込まれる事になる。この技を開発した人物はScV〜A99で活躍したSt.GIGA氏@YMT、命名者はNexus氏 @YMT。名前の由来は、当時Yamatoシャードで暴れていたGuild PoAのチート(詠唱無しでEB連発etc..)に関連して付けられた。決してPoAが使ってた訳ではないらしい。

□ Zero-Keep(通称ZK)
Zero-Delayの弱点を補う為に開発された技。Peace/Warモード切り替えを連打する事によりハイライトを消し、相手に隣接されてもこちらから攻撃しない状態を作る。この技の利点はDelayが溜まって武器を装備する瞬間、相手に隣接されパンチを出してしまう事を防ぐ。しかしAttack Lastボタンを連打されると自動的にハイライトしてしまう為、必ずしもMissパンチを防止出切る訳ではなかった。しかし相手が追い込まれている状態だとAttack Lastキー連打を忘れてしまう時も多い為、多くのDuelistがこのテクニックを愛用した。開発者は当時のWakoku最強PvPerとして名高いWu-Tang氏。

□ 2Hit-Attack
Delayが溜まった状態で武器を装備すると、その装備した武器のDelayが溜まり始める。そのDelayが溜まってしまうと始めに溜めた分が失われるのだが溜まる前に相手と隣接すれば始めに溜めた分のDelayが消化され、武器装備してから溜めたDelayが残る状態となる。残りのDelayを溜めれば2回連続で攻撃できるのだ。(Delayを溜めてからHAL装備>1回脱着を行う>HALのDelayを4.0とすると3.8ぐらいまで溜める>相手と隣接しHALを振る>0.2秒立ち止まりDelay溜める>再度HALを振る)という流れ。ただ、HALみたいに遅い武器だと実戦向けではない。(使用したのは開幕の時ぐらい)Delay2.0〜2.5ぐらいの武器で効果を発揮する上級テクニック。

□ Uma-Keep
Duel Pit専用という条件付きだが、リング外の馬を使って相手とのハイライトを消す。Attackする時はAttack Lastキーを利用。開発者Unicorn氏@YMT。WDの方が実用的だった為、利用していたPvPerは少なかった。当時のASUKA強豪Duelist Kujo.Jotaro氏@S-Eが愛用していた。

□ Bom投げ返し
当時のBomは今のようにワンキーホーミングではない。手動で点火し、クリックで投げる。操作に手間が掛かる分、乱用するPvPerは少なかった。しかし上級クラスともなるとワンポイントでBomを利用してくる。私もコンボに混ぜたり、リング上での逃げ道を塞ぐ為に利用していた。しかし極少数のPvPerは、転がってきたBomをW-クリックし投げ返してしまう技術を持っていた。溜めBom(すぐには投げずカウントが少なくなったら投げる事)には通用しないが、進路遮断用Bom(即投げBom)を何度か投げ返された記憶がある。

□ 自爆Bom
当時にW-BomやHoming-Bomワンキーマクロが開発されていたら大変な事になってたに違いない。まだ手動作業重視な時代だったのでExp>HAL>EBコンボに自爆Bomを絡めるだけで技とされていた。Bomの使い方は私が戦ってきた相手ではAerial氏が上手かったと記憶している。

□ 小刻みHeal
DUEL初心者は回復=GHと認識しているが、上級者相手だとGHは簡単に潰されてしまう。回復手段はAttack Last連打(ZK対策)しながら張り付いてHeal連打。このテクニックを極めればそう簡単には死ななくなる。

私のDUELデビューはDuel Pitではなく身内のDUEL定期集会だった。もちろん誰だって最初は弱い。俺も始めは勝率5割ぐらいだった。しかも操作していたキャラタイプは当時珍しいTMF(Tank Mage Fencer)今のようにBlowなんてものはないのでSS・Fen・Maceの差は普通に武器性能の差だけだった。Wrestling Delayで武器が振れるなら必然的にHALを選ぶのが正解だろう。だが、2Hit-Attackを活用という点においてはS.Spearが最も適していた。程よく威力があり、速度も速い。つまりExp>ZD>EB>ZD+Bom>ZDというようなコンボが簡単に繋がったのだ。手数でHALのダメージを上回る作戦は意外に効果的で、私はメキメキと実力を付けて行った。途中からTMSキャラも作り、しばらくは両方のキャラでDUEL。気付けば勝率9割 以上を誇りASUKAシャードを代表するPvPerへ成長していた。

各シャード毎にPitのRuleは違っていた。Yamatoで流行っていたのがMagic禁止、Pot数制限有、APB(※Anti Paralyze BOX)無しルール。APBがないので相手がPara詠唱したらすかさずMA等の対策Spellを詠唱する必要があった。Asukaは、Magic禁止のみでPot無制限、APB有りルール。この為Pot乱用は当たり前で、APBがあるのでParaは殆ど使われなかった。赤Potがぶ飲み出きるので、TM系でSTRを下げてDEXを上げるType(M-DEX Type)が生まれる事になる。M-DEXの産みの親とも言うべき人物がASUKAを代表するPvPer Aerial氏。DEXをワンランク上げる事によりWrestlingのDelayを0.5秒縮めより高速なZDが可能になった。さらにKatanaでの削りも安定性が増し、Broad Swrodでの中威力攻撃という選択肢も増えた。ただ、ダメージを食らうとスタミナが減るのでPot無制限ルールではないとその力を生かす事は出来ない。YMTではm-DEX Typeが流行らなかったのがその理由だろう。Wakokuはより実践的でMagic有り、Pot無制限、APB無制限ルールだった。その為、当時のスーパーウエポンQ-Staffが猛威を振るいHI-DEX TypeによるVanq Q-Staffでの撲殺が最強だった。しかし、徐々にMagic可能ルールが廃れTMSが主導権を握るようになっていき、Wu-Tang氏のような素晴らしいDuelistが頭角を表す事になる。

TMS時代でのASUKA Duel Pit常連達を紹介しておこう。ここで紹介するのはあくまでPit常連達。Pitに来ないけど強いPvPerもいるという事を付け加えておく。(順不同)

Aerial@LoH、TMZ@LoH、Adis Tia@LoH、ONOYUU@D、Vlad@D、Yuji@D、HIROYUKI@D、Paruru@D、Sakaki@D、Jotaro.Kujo@S-E、HADES@PK、SV@BOY、Hayahidee@BOY、Nachomen@D、MAX@DC、Relvinian@FaX、Makibi@SA、xX MILLENCORIN Xx@D、Canal@D、Halo@D、Alexander@TEL、Kuma@X、falfade'@LAZ、Death Cythe@D、Aya@AIC、Nankai@SA、Ran@SA

Yamatoはキャラ完成間近という所でPre-Cast修正が入ってしまい満足にDUEL出来なかったのが残念。 直接戦った訳ではないが、Web等で拝見した限りTea氏、Setuna(aiu)氏、Unmo氏辺りの名前がYMT強豪Duelistとして記憶に残っている。

TMS時代の最強と呼ばれるPvPerを挙げるとするならば、Aerial氏@ASK、Unmo氏@YMT、Wu-Tang氏@WKKの3人だろう。共通する点は、みなTMSだという事。私のようにTMFを操作するプレイヤーは皆無に等しかった。

[補足]
Pot=ポーションの事を指す。
APB=Anti Paralyze BOXの略。数秒間行動不能にするSpell "Paralyze"はDamageを食らうと解ける性質を利用し、"Magic Trap(開けると1Damage食らう)"をかけたポーチを、Paralyze食らったら開ける事により即解除を可能とした。
Q-Staff=Mace系の武器。攻撃がHitする度にスタミナを削るMace系両手持ち武器の中で、最も速度が速く、Damageも安定していたスーパーウエポン。後にスタミナを削らないよう修正された。

2000.2 IZUMO Deceit War

私が本格的にIzumoで活動するようになったのは、Pre-Castが廃止(バグ修正)された後だった。Pre-Castが廃止されてもZero-Keepが残っていた為、そこそこ熱いDUELは行えた。

ASUKAのPit仲間や当時有名だったプレイヤーが次々とIzumoへ進出。War Guildへ加入したMemberを見ても、

Sakaki@D>MaX
Halo@D>MaX
ONOYUU@D>MaX
Paruru(Magic)@D>ScV
Nori(Yuki)@D>ScV
PaYa(俺)@D(OZ)>0%
Sar Doudaro@TEL>MaX-GM
NAOKI-ZERO(Dead Line)@LoH>MaX
Mistic(AtlachNacha)@PK>ScV

辺りを記憶している。全部は把握していないので他にもまだまだいるだろう。

Lapis氏@ScVの宣戦布告により各シャードから集まったPvPer達は、日本シャード初(世界初?)のDeceit Warを展開する事になる。私がIZM Warに参加し始めたのが2000年2月頃、1999年冬ぐらいにはすでにWARは開始されていたが私はDUELに夢中であり、IZMのキャラ作成をサボっていたので参戦が遅れた。主な参戦Guildは覚えている限り以下の通り(抜けてたGuildごめんなさい)

ScV:言わずと知れた実力・知名度共にTop LvのGuild。統一された動きで連携重視スタイル。隊列から1マスはみ出たら即死という集中精度を誇った。GMのLapis氏はUO PvP業界で多大な影響を与えた人物だろう。

0%:主にWKK組みが中心のMember構成で、半数がWKKと掛け持ちという状態な為Active差が激しかった。連携を個人技量でカバーの乱戦重視スタイル。個人能力は日本シャードを代表するLvの奴らが揃っていた。

MaX:個人Skill重視なスタイルはGuild Dを思わせる。ゲリラ的な活動を展開した。

FdE:数を生かし戦士比率高めの接近戦スタイル。打ち合いになる前に飲み込んで戦士を活用する動きは、脅威だった。

SM!:Hokuto最強を掲げ参戦。私が参加した頃は、下火?だった為かあまり印象がない・・・

UnV:Asuka古参Guildだが、圏内戦と同じスタイルでの参戦だった為、高速展開についていけずよく挟み撃ちで壊滅していた。

R*R:Activeも低めだったのか、それ程印象には残っていない・・・・

S/B:当時のIzumo Warでは並だったと思う。よく覚えてない。

圏内WARは頭数に左右されやすく、しかも展開が遅い。けっしてつまらなくは無かったが、DUELの方が魅力的だったのは確か。しかしそのWARスタイルを根本的に覆す理論を提示したのがLAPIS氏だった。Tank Mage主体のSpeed WAR。戦場をDeceitに限定する事により敵との遭遇率を大幅に向上させ、攻撃魔法による撃ち合い・ZDによる斬り合い・フィールド魔法によるフィールドメイク・各Mark Point設定と、リコールによる高速展開・そして位置取りによる挟み合いに漁夫、頭数に左右されづらい技術・経験重視のWARスタイルは、多くのPvPerを魅了した。

攻撃Flagという概念がないので移動はGateではなくリコール。Gateからワラワラ敵が出てくるのではなく、いきなりリコールでPointに飛んでくる。一気に攻めて挟まれる前に移動が基本スタイル。挟まれてからじゃ遅いぐらいの感覚で、WARが高速展開される。とにかくこのスピード感に加え魔法+ZD-HALによる集中・即殺。特にScV戦では、1マスはみでたら即死という感じで、このスリルがたまらなかった。

私が0%を選んだ理由として、Shame Lv4での遭遇戦とDuel PitでのDuelがある。Shame Lv4で資金作りをしていると灰色NameのBitawan氏と遭遇。しかしまだキャラも完成しておらずResist50台じゃ勝てないと判断し、そのまま見過ごしたのだが・・・なんと彼からAttackしてきたではないか(苦笑)当時既にIzumo最強の称号を得ていたBitawan氏はさすがに強い。が、ZD Missが目立ったのは意外だったが、おそらくラグが原因だと思われる。この時は引き分けに終わった。

Duel Pitでは、Song氏、Snow  White氏らとDuel。共にかなりのツワモノで、結果的に秘薬切れでのドローとなり勝負は付かなかった。そんな経験が影響し、強力なPvPerが多く在籍している0%に魅力を感じ入隊を決意。熱いDeci Warを味わって行く事になる。

2000.2 IZUMO Q-HAL時代

Pre-Cast&Zero-Delayの時代はPre-Cast修正というOSI側のバグ修正により終りを迎えた。ただし、Zero-Delayがある限りDUELは終わらない。PvPer達は新しいテクニックを開発し、DUELを盛り上げていった。

□ Quick Zero-Delay(通称Q-ZD)
Pre-Castが無いので魔法+武器コンボが行えない。Exp>ZD>EBがこのパッチではExp>EB>ZDとなるのだ。瞬間的な殺傷力が減少したので、上級PvPer達はZD速度を追及した。それによって生まれた言葉がQuick-HAL。相手の回復が追いつかなくなる程高速にZD-HALを叩き込む技術で、Wrestling Delayギリギリを追求していった。

□ Casting-ZD
その名の通り、詠唱中にZDを行うテクニック。かなり上級者向けだが、私はこの技を愛用していた。Pre-Cast状態で武器を装備するとCastが消滅してしまうのだが魔法詠唱中に武器を持つ分には詠唱キャンセルされない。EB詠唱>詠唱中ZD>詠唱完了後開放で、武器>魔法を繋げる事が出来るのだ。ただし、これにはいくつかの条件が必要となる。詠唱中は動けないので相手から隣接してこなければいけないのと、相手の攻撃を受けると詠唱がキャンセルされてしまうという事。この2つの問題さえクリア出来れば必殺的な威力を発揮できた。

Izumo Duel Pitでの実力者は以下の通り。記憶が曖昧なので抜けている人がいるかも知れない。

Bitawan@0%、Snow White@0%、Wu-Tang@0%、Song@0%、Tu-Tenkaku@MaX、Gackt.c@MaX、Aerial@SL、Knight@none

Q-HAL環境下ではTMS時代程実績を挙げる事は出来なかった。勝率も7割強、8割弱という感じ。Bitawan氏@0%には2戦2敗。超高速Q-HALラッシュの前になすすべが無かった。それ程Q-HAL環境下での彼の動きは極められていた。何よりQ-HALの速度が異常で、さらにこちらのDelayを潰し、自分のDelayを操作(Delay溜め中わざと動いてDelay溜まるのを遅らせるテクニック)する技術に長けていたので、ZD潰しが利かない。彼の噂では1vs5で5人KILLというエピソードがある。ちなみに私は、AWC相手に1vs4で3KILL1逃げ られが最高。今のパッチでは考えられないと思うが、当時は1vs多数でも十分戦えたのだ。

2000.5 Yamato War

攻撃Flagによるリコール制限や、Zero-Delay廃止(バグ修正)によりIZUMO WARは終焉を迎える。そして0%もWakoku War一本化するMemberとYamatoへ進出するMemberとに分かれた。WakokuではPuffy、NutsらがGuild 7を結成し、Wakoku最強(当時の全日本シャード最強と言っても過言では無い)の称号を勝ち取る事になる。彼らは一応Yamato 0%にもキャラ所属していたがメインはGuild7であった。Member補充の意味合いでFemutoが次々とMemberを獲得(主に当時YMTで活動していた強豪達)し、Warに殴りこみをかけた。Yamato War業界を長い間引っ張ってきたA99(N99)も、コアメンバーの引退により我々が参戦した頃には既に勢いは無く、変わりにSLS、DVD、EwS、BH辺りのWar Guildが勢いづいていた。ASUKA最強LoHもSL?に名前を変えYamato Warへ参戦するも、Asukaの時ほど威圧感は感じられない。LKFがYMT最強を掲げていたが圏内戦Onlyな為、殆ど戦う事は無かった。

2000年8月にはDIABLOUに1ヶ月程ハマり、UO休業。その間、0%はWakoku Warへ参戦。当時最強のGuild7と交戦していた。私もWu-Tang氏のAccを借りて数回Warへ参加するも1ヶ月のブランクは大きく満足な動きは出来なかった。

2000.12 派閥システム導入

DIABLOU飽きてからしばらくはほのぼのとPlayしていたが、派閥導入と共に本格的に活動を再開。0% Memberや知り合いで結成したGuildがマグロ団(略称0_o)Yamato派閥で猛威を振うことになる。所属したのは最弱派閥TB派。しかしマグロ団の影響もあり1ヶ月後には最大派閥化へ・・・敵が少なくなったのでGuild O_oはTBからMinaxへ移る事になる。

2000年12月〜2001年1月までのTB活動戦績:スコア61 被Get2

仕事の都合で夕方ゲリラが行えないので思うようにスコアは増えなかった。Minaxに移籍してからも猛威を振るい続け、Yamato派閥に多大な影響を及ぼした事は言うまでもない。

2001.2 マグロ団(O_o) Wakoku War参戦

War Guildが派閥に飽きてWarへ戻る気配が強まり始めた。マグロ団もYamato派閥を撤退しWakoku Warへ参加。この時のWakoku Warは異常な盛り上がりを見せ、全日本シャードからPvPerが集まり始めていた。後にWakokuがJP Warの主戦シャードとなる。

参戦した当時の敵対Guildは、V、ASR、BeB、SIT、S-D、K@R、KOF、J'でWakoku最強のGuild7が解散した後だった。7 MemberでPuffyやNutsら元0% MemberはO_oへ参加。

私はMageキャラが育っていなかったので、斧HI-DEXのo.で参戦。このo.という名前の与作キャラは、Wu-Tang氏が企画したTeam Oneと呼ばれるEvent用に作ったキャラで、参加Member約100人全員が同じ格好・同じ名前・同じSkillで活動した。派閥にもo. Memberが多く参加していたので間違われる事も多々あった。

斧のダメージは絶大で2Hitで殺せる事も多かったが、フィールド魔法乱立するDeceitでは、両手武器が命取りとなる場面も多 く、その為片手武器の利用も多かった。当時のWakoku Warを見ると、Guild Vが頭一つリードという状態で、次にO_oという感じだった。

3月に入り、Mageキャラが完成。O_oが唯一負け越していたGuild Vが解散し、変わってLIN氏率いるIIが力を付ける事になる。V Memberは、Guild FDを結成し再びWAR参戦。

2001.4 派閥へゲリラ参戦

Wakoku Warが盛り上がっているのだがWAR開始が遅い。11時30ぐらいにならないと開始されない為、それまでの時間が暇になる。という訳で各シャードへ派閥ゲリラ参戦を企画。ASUKA・YAMATO・WAKOKUでゲリラ展開する事に。既にAerial氏@O_o(Rince)やSakaki氏@O_o(Bibibi-Onechan)らが暴れまわっており、その知名度は全シャードに轟いていた。

2001.5 MIZUHO

MIZUHOシャードがオープン。Warはしばらく休業し、MIZUHOキャラ育成開始。バードキャラを駆使しサクサク金を溜める。ラージマーブルパティオとサンドストーンパティオを建築し、資金・物資も順調に溜まっていった。

ある程度地盤が固まった所でTeam ABESIを結成。Memberは、RED DEER(俺)、Masao、Alisha(HIROYUKI@D)、ACTLINK、Kirie Spark、Pyon、HAWAR'D、No Smoking(sasa)、Reimia(Nachomen)、Quoll(Nekoi)、Joan of Arc(UKUSIKA)、Cless、Ishter、Kage、Absolute'Zero、J.Fouk、Oryza satiba(yupa)、xX muck Xx。

大半がOZ Member及びASUKAの知り合い(主にT-4)で構成。MIZUHO最強の名を欲しいままにしたが、Guildの結束力という点では無に等しいかもしれない。各々が個人Skillでねじ伏せる感じで、IRCによる指揮は行わなかった 。自由に乱戦を演じることを前提としていたので、派閥慣れしていないMemberはよくハグれ死にしていたのが問題だったが、逆にターゲット合わす技術を兼ね備えたMemberはガシガシKill Pointを溜めていった。そして念願のKill Point100Overによるランキング1位の座へ!!ランキング上位もABESI Memberが独占という結果となった。

MZHの主な派閥プレイヤー:NEO SILVER氏@CoM、CALPIS氏@CoM etc...

私の使用キャラはMedi-Fighterと呼ばれるタイプで、乱戦で威力を発揮。

・Magery 100
・Meditation 100
・Resist 100
・Anatomy 100
・Tactics 100
・Mace 100
・Healing 100
・武器:WH(Vanq Tac+15〜25愛用)、War Axe(Vanq Tac+10〜15愛用)、
     QS(Vanq Tac+20〜25愛用)
・防具:皮装備(Forti以上常時装備)、Vs HI-DEX用にプレートメイル(Inv)携帯

合計10万GP以上の装備で活動出来たのも、心強い味方がいたからだろう。当時はBolaによる落馬以外で死ぬ気しなかった。

8月15日より参戦してきた韓国系Guild815は、高速回線を武器に良い動きでMIZUHO派閥に旋風を巻き起こす。しばらくは、このGuild815相手に熱い派閥が繰り広げられたが、ある日を境にパタリと姿を消してしまう(Yamato派閥へ参戦していた模様)そして敵がいない日々が続きモチベーションが低下。MUGENシャードオープンと共にMIZUHO派閥撤退し、Guild ABESIを解散させた。

2001.10 MUGEN

MUGENシャードは、米SPシャードと似たルールとなっている。すなわち赤Nameでもロスが無いのだ。これはPK活動して下さいと言っているようなモン じゃねか!!って事でO_o Memberと元ABESI Memberを中心としてClan PvPを結成。

主力の廃人・精鋭部隊がガシガシ資金を稼いだおかげで城土地を確保出来たが、O_o(後のr2)がWKK War忙しくなったのと、他のメンツもMGN飽き始めた事が原因で活動は縮小していった。

MUGENの主な敵は、DIE、HSP、FA辺り。FAは圧倒的数でゴリゴリ押してくるが、個々のSKILLは低いので上手く引きながら戦うスタイルでGetを積み重ねた。DIEは、意外に連携力がありGMのGON氏へのHealが厚い。逆に司令塔であるGON氏が落ちれば脆い一面がある。HSPは、あまり交戦する機会が無かったのでなんとも言えない。

MUGENも思ったより盛り上がりそうで盛り上がらなかった。原因の一つとしてRoTシステムのだるさが挙げられる。キャラだけはTCみたいに事由にSkillを変更(一度だけ)できるようにして、もっと気軽さみたいなのを取り入れて欲しかったなぁ、、、なんて思うのは私だけだろうか・・・・

2002.01 そして引退へ

私が本格的にUOをプレイしたのはPvP.MGNが最後。その後は、たまにWKK派閥に参加したり、War観戦したりと少しずつログインする時間が減っていった。2002.10月に新シャードSAKURAがオープンし、スタートダッシュに参加したけど家建築したら途端に飽きてしまった。本格的にUOをやらなくなってもAccを消す決断を出せずに時が流れたが、家リフレッシュ再会と共に余分な財産(主に家)を処分する事を決意。2002.10現在Accは残しているが、もうUOで熱くなる事はない・・・・UOというかMMORPG自体で、あの感動を得られる事はないだろう・・・・それ程このUltima Onlineは素晴らしいGameだった。私の心を奪い、廃人へと変貌させたこのGameからやっと開放される。5年という歳月は長いようで短かったが、数々の思い出を残してくれた。

最近はGameへの意欲もだいぶ薄れてきているが、あの衝撃に再び出会った時、私は変貌するだろう・・・・

廃人という名のGamerへ....
 

2003.02 UOAOSと共にUO復活

引退から早1年の月日が流れた。操作方法すら忘れかけている状態だが、UOAOS発売と共にUO復帰。PvPシステムの大幅変更により、薄れていた意欲を取り戻した形となった。

歴史は繰り返す・・・・

Guild PvP MemberとしてWakoku派閥に参戦するも、満足にPlayできず短い期間で再び隠居となった。ITEM依存の度合いが強く、高価なITEMは値が張る為、ライトユーザーには厳しい環境と言える。

2003.06 UOエミュレーター ACWへ

DUEL全盛期の頃(UOR以前)のシステムがベースとなっているエミュサバACWをWU-TANGから教わり早速ハマってしまう。参加してるMemberを見ても懐かしい名前が多い!!当時のシステムがベースとなっているが、新しいシステムも入っており(ベースプログラムの影響もある為)独特のシステムが構築されている。とにかくDUELが熱い!!当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。しばらくは、熱い日々が続いたが、やはりPlayerの絶対数が少ないので飽きがくるのも早かった・・・

2003.12 THE END

ここ1年満足にログインせずにアカウント料だけ支払っておりましたが、色々と考えた結果メインアカウントを他者に譲りました。6年間(実際Gameしてたのは5年ぐらいかな)楽しませて頂いたGameと完全にお別れとなります。MMORPGの先駆けとして、多くのファンを魅了してきたUltima Online。以後、数多くのMMORPGが発売していますが、PK禁止・パーティ推奨・モンスター狩り中心・戦闘Only等々、、やりこむとマンネリ化に陥るGameばかりで、UO程自由度の高いGameは今だ発売していないのが現状です。多くの感動と、出会いを生んでくれたUltima Online、、、

ありがとう・・・
そして、さようなら・・・・

 


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